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逍遙会タイトル
最終更新日2016年3月20日


第31回逍遙書道会展

(日時)2016年4月9日(土)から11日(月) 10:00−18:00
(場所)イオンホール(イオンモール日の出)
(詳細は掲示板をご覧ください)

活動
掲示板・・・おしらせ
梨香(りこう)せんせいの教室だより
リンク集




逍遥書道会 入会ご案内 ―生徒募集中―

逍遥書道会は今から29年前「永く楽しく、伝統的な書道を学びましょう」をモットーとし、あきる野の地に生まれました。
筆やペンで美しい字を書きたい、少し進んで芸術的書を書いてみたい、毛筆で書く喜びを身につけたい、文科省検定資格を得て将来に役立てたいなど 希望はあってもなかなかチャンスが無くて・・・と思っている方はいらっしゃいませんか?またお子様の文字学習や学校の補習も積極的に指導しています。文科省に準拠した指導で幼児から小中学生にも最適です。
無料体験も随時受け付けています。是非お気軽にご参加ください。

 毛筆    一般部(高校生以上) / 漢字、仮名、仮名交じり文(半紙、条幅書)
       学生部 (幼児・小中) シルバー部

練習日:
   毎週  火曜日  9:00-12:00 ファインプラザ(JR武蔵増戸駅歩き2分)
           15:30-19:00 山田教室(あきる野市山田)
           水曜日  15:30-21:00  山田教室         
      金曜日 10:00-12:00 秋川教室(あきる野ルピア JR秋川駅より歩き2分)
   月2回  土曜日  9:30-12:00 山田教室


指導
  中村 海洞
  中村 梨香

連絡・ご相談:
    逍遥書道会(中村書道会)
       あきる野市山田
    中村 海洞/中村 梨香
        電話番号:042−595−1018
        メールはこちらへ ※▲を「@」に変えて送信して下さい nkmrrtk▲gmail.com 


NEWS

【第二十八回逍遥書道会展と講演会】



やまと は国のまほろば たたなづく青垣 山隠 やまこも 山隠れる やまと しうるわし (『古事記』中巻)
(倭は国のすばらしいところである。畳みかさねたように連なったあおあおとした垣のようで、山の内にこもっている倭は美しく懐かしい。)
この有名な国しぬびの歌は、 倭建命 やまとたけるのみこと んだ歌として広く国民に親しまれてきました。この歌を収める『古事記』は日本最古の歴史書であり文学書でもあり、多くの歌謡や神話伝説が記されている書物でもあります。そして『古事記』には、私達の先祖が崇拝して来た神々のことや、古代人の生き方や物の考え方も述べられており、随所に先人の深い知恵やロマンや愛がちりばめられています。『古事記』が 太安万侶 おおのやすまろ により 編纂 へんさん されて 撰上 せんじょう された和銅五年から、今年は千三百一年にあたり日本各地で盛んに記念事業も行われています。
『古事記』の中で、倭建命は感情豊かで極めて人間性に富んだ人物として描かれています。日本の各地に様々な倭建命にまつわる伝承があるように、今に至るまで倭建命は日本人の心をずっと とら え続けて来ました。関東地方を「あずま」、と呼んだ地名起源の伝承は、倭建命に結び付けて今に伝えられています。私達の周辺にも、例えば 武州御岳神社 ぶしゅうみたけじんじゃ など興味深い倭建命伝承があります。
今回の逍遥会展・講演会では、この魅力的な倭建命伝承をテーマに取り上げました。作品の題材などは『古事記』からそれに ちな んで多く取上げました。そして春季恒例の 逍遥 しょうよう 逍遥会書道会展は、平成二十五年四月六日から八日まで、講演会が四月六日午後一時から、同じ会場のイオンモール日の出、イオンホールにて開催されました。
*注 倭建命 やまとたけるのみことは(景行けいこう天皇2から43年?)、記紀に登場する第12代景行天皇 けいこうてんのう の皇子、 いみな小碓尊 おうすのみこと、またの名を日本童男やまとおぐな倭男具那命やまとおぐなともいった。第14代仲哀天皇ちゅうあいてんのうの父とされる。『古事記』には「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊やまとたけるのみこと」。以下「倭建命」で統一しました。


逍遥書道会アトラクション 『古事記にちなんで』 詩吟三題   ( 日の出吟詠会 )
今年度のテーマに相応しく『古事記』に ちな んだ詩を含む三題を選び、展覧会初日の講演会アトラクションとして、「倭はくにのまほろば」(『古事記』より)を小宮彩香さんが、「八雲たつ」(『古事記』より)を山根嘉王さんが「大友皇子 侍宴」(『 懐風藻 かいふうそう 』より)を山根吼進(衛海)さんが、それぞれ見事に詩吟を行いました。

講演1:「『古事記』― やまとたけるの伝承」      ( 逍遥書道会主宰   中村海洞 )
武州御岳社 ぶしゅうみたけしゃ の説明によれば、創建は第10代 崇神天皇 すじんてんのう 7年(紀元前91年?)の時、 武渟川別 たけぬなかわわけ 命が東方十二道を平定の折に、 大己貴 おおなむち 命・ 少彦名 すくなひこな 命をこの土地に祀ったのが起源とされ、天平8年(736)僧の 行基 ぎょうき がこの地に東国 鎮護 ちんご を祈願し、 蔵王権現 ざおうごんげん の像を安置したと伝えられています。 文暦 ぶんりゃく 元年(1234)に 大中臣国兼 おおなかとみくにかね 荒廃 こうはい していた社殿を再興して以降、 修験場 しゅげんじょう として、また 倭建命 やまとたけるのみこと に象徴される武神の神社として 尊崇 そんすう され、関東の幕府や武士から多くの武具が 奉納 ほうのう されました。江戸時代に入り 慶長 けいちょう 10年(1605)徳川幕府は大久保長安を 普請奉行 ふしんぶぎょう として送り、本社殿が、元禄13年(1700)には 弊殿 へいでん と拝殿が 建立 こんりゅう されました。明治(1868)に入ると神仏分離令により、「 御岳大権現 みたけだいごんげん 」から『 延喜式 えんぎしき 』の記載名の「 大麻止乃豆天神社 おおまとのずてんじんしゃ 」に改称しましたが、昭和27年(1952)に現在の「武蔵御岳神社」に改称されています。
『古事記』巻中 景行天皇の條に
り入り でまして。 ことごと くに 荒夫琉 あらぶる 蝦夷 えみし ども を言向け、亦た 山河 やまかわ の荒ぶる神 ども 平和 やわ して、還り上り でます時、 足柄 あしがら の坂本に到りて、 御粮 みかれ ところ に。其の坂の神、白き鹿に りて 來立 きた ちき。 ここ に即ち其の のこ したまひし ひる 片端 かたはし ちて、 ち打ちたまへば。其の目に あた りて、 すなわ ち打ち殺したまひき。 かれ 、其の坂に登り立ちて、三たび なげ かして、「 阿豆麻波夜 あずまはや 」と、 詔云 りたまひき。 ゆえに 、其の国を なづ けて 阿豆麻 あづま ふ。
とあり、異同も少なくはないが、『日本書紀』にも おおむ 類似 るいじ の文が掲せられています。
倭建命は 東国 あずま ほぼ 平定しその帰途、武蔵から 足柄 あしがら を経由し、 甲斐 かい (山梨県)の 酒折 さかおり に立ち寄り、 上野 こうずけ (群馬県)、 信濃 しなの (長野県)を経由して 伊吹 いぶき に向かうわけですが、この 酒折 さかおり に滞在する前後を舞台として、このような伝承が多々残されています。武州御岳神社では、
「御岳社 中央の山にあり・・・ 元和 げんな 八年(江戸時代1622)に しる せし社伝を けみ するに、 人皇 じんのう 十二代景行天皇四十年に倭建命、 東夷 とうい 征伐の爲、 御下向 おんげこう ありしとき 相模 さがみ の国・・・(『新編武蔵風土記稿』巻一百十四目録多磨郡之二十六、三田領に御岳社)」

と記されており御岳神社は倭建命と 所縁 ゆかり のあることが述べられています。また、 三田領 みたりょう (現在の青梅市)の 御岳村 みたけむら 甲籠山 こうらさん 、あるいは 棚沢村 たなさわむら の穴沢天神社、また 小宮領養沢村 こみやりょうようざわむら (現在のあきる野市)にもその伝承が残っています。
「御岳神社の神領にて、往古は 杣郡 そまぐん 秩父岳とも稱して御岳村は・・・ いにしえ より御岳権現のおのずから一郡をなしたる地なりしと。社記を閲するに、景行天皇四十年倭建命、東夷征伐の時、陣営を秩父岳にとどめ給ひ、 凱旋 がいせん の日、武器を岩倉におさめ給ふと、「紀」に載せたるは、則ち当山のことなりと云云。この説もし しか んには、 いにしえ はここの邊まで 知知夫 ちちぶ の国に属せしと見ゆ。御岳山、この辺の 惣名 そうめい とする処なれど、御岳山とさして云へるは、本社の立てる中央の山なり。 なお 、社の じょう に出せり。 甲籠山 こうらさん 、御岳山の西の方にあり、則ち倭建命の武器を おさ め給ふところなりと云ひ伝へり。(『新編武蔵風土記稿』巻一録多磨郡之二十六、三田領御岳社)」

倭建命が 国家 こっか 鎮護 ちんご のために、着用の「武」具をこの地に「 おさ 」めたという伝承から、「武蔵」という国名が生まれたと言われ、参拝は平安時代から盛んになり、江戸時代では江戸町民たちなどにより 御嶽講 みたけこう が結成され、御岳参りが盛んにおこなわれました。今でも倭建命の甲冑を埋めた岩蔵がその場所だとか、道に迷った倭建命を助けた狼が住んでいた辺りにこの神社作ったとか、湧き出た清水がこの場所で倭建命一行はそれにより全員のどの かわ きを いや したとか様々な形で、あきる野だけでなく関東一円に残されており、人々に親しまれています。今回の講演では、プロジエクターを使って古文献の記載の説明や所縁、伝承地、 遺物 いぶつ の写真や、また江戸時代や近世の画家が描いた絵など皆さんに紹介し、しばし古代の夢に ひた って頂きました。


講演2:「『古事記』などとのかかわりのある伝説などから見たあきる野の昔」                          ( あきる野文化連盟会長  坂上弘之 )
あきる野各地に古から残されている倭建命を中心とした伝承について、というのが講演の趣旨でした。あきる野二宮神社の社伝に「倭建命が東征の際にあきる野に入ったところ、水が 枯渇 こかつ して飲み水に困り、水国の神霊とされる 国常立尊 くにとこたちのみこと を祀ったところ、たちまち水が沸き出した」とあります。その後、水は枯れることなく、現在道路で分断されていますが、道路を挟んでその神社から向かい側に「二宮神社お池」と呼ばれる池があります。そこは昔から 雨乞 あまご いを祈る場所とされ、 霊験 れいげん あらたかな場所でした。また、その水は、風邪、咳の病にも霊験あらたかとされています。当社は、武州六社神社の一つで地域の 尊崇 そんすう の神社となっています。六社神社とは東京都と埼玉県そして神奈川の一部を含む昔の武蔵の国と呼ばれた地域を代表する六つの神社で、1. 氷川 ひかわ 神社(埼玉県さいたま市)2. 秩父 ちちぶ 神社(埼玉県秩父市)3.二宮神社(東京都あきる野市)4. 金鑚 かねさな 神社(埼玉県児玉郡神川町)5.杉山神社(神奈川県横浜市緑区)6.小野神社(東京都多摩市)がそれに当たります。その六社は 六社明神 ろくしゃみょうじん とも呼ばれ旧武蔵国府に分社されていました。

第二十八回逍遥書道会書道展
テーマ:『古事記』より
作品 : 毛筆(テーマ作品、年間作品(創作、臨書、漢字、仮名)、学生部作品、 軍道 ぐんどう 和紙作品)
公文書写作品(ペン、筆ペン、かきかた)
テーマ作品は『古事記』の序文 天地 開闢 かいびゃく 、倭建命東征記事、久米歌、 須佐男尊 すさのをのみこと 櫛稲田姫 くしいなだひめ との婚礼歌、連歌起源とされる酒折での倭建命と火たきの おきな 、から題材を選び作品化しました。これらの題材は、講演会や詩吟やパフォーマンス書道の題字などに盛り込みました。

アトラクション パフォーマンス書道      ( 逍遥会パフォーマンス隊 )
今年も大勢の期待に応えて、逍遥会パフォーマンス隊により行われました。テーマは「 はる か―ゆうきゅう」「華−はな はな はな」「 わだち -きぼう」の三題を演じました。
「遙か―ゆうきゅう」では、宮内庁雅楽部演奏曲による「 越天楽 えてんらく 」にあわせて、山川晶子が「遙」の題字を200x270cmの大紙に楷書体で豪快に書きました。「華−はな はな はな」では木住野朱里が、AKB48の「桜の木になろう」の歌に乗って「華」の題字を書き、リレーで越沼真由、越沼花菜、新間咲花、宮崎愛侑、俵川茉子、山崎綾乃がそれぞれの思いの形で「はな」をいっぱいに書きました。最後の「轍-きぼう」は、サザンオールスターズの「希望の轍」の歌に乗って矢島翠鳳が「轍」の題字を行書体で力いっぱい書き、山川晶子はと中村和子は「希望に向かって」などの副題を紙面に書き入れました。大勢の観客の声援の中で楽しく行われました。これら三題の作品は会期一杯、会場内に展示いたしました。
(以上文責中村)

会員の声
○今度はあのすごい、でっかい筆で書きたい          大久野小学校四年  越沼 花菜 
  習字でパフォーマンスをやりました。私は今年はじめて出ました。ちょっとはずかしかったけど、終わるとスッキリして、これからもがんばろうと、ワクワクしてきました。パフォーマンスに出てよかったなと思いました。今は、もう一回出てみたいと思います。みんなすごかったので、みんなをお手本にしていきたいと思いました。中ぐらいの大筆は今年はじめてもったので、次はいっぱい練習して、あのすごい、でっかい筆を持ちたいです。
今度は4年生になるので、私もお手本になれるように練習していきたいです。家でも練習できるといいなと思います。これからは漢字をふだんからていねいに、いっぱい使うようにしたいです。そして、おねえちゃんみたいにじょうずになりたいです。

○緊張した題字                       平井中学校一年  木住野 朱里  
私は、初めてパフォーマンス書道に参加しました。
最初の練習のとき、いきなりダイ先生に「題字を書こう」と言われ、私はびっくりしました。正直私は(そんなの私には絶対できないよ・・・)と思いました。だけどダイ先生はこう言葉をかけてくれました。「大丈夫。朱里ちゃんならできる。」―この言葉に勇気をもらうことができました。
そしていよいよ本番です。私の出番は2題目で、AKBの曲に合わせながら「華」を書き、とても気持ちよかったです。最後までうまくいき、うれしかったです。でも一つだけ残念なことがありました。それは、少し下に書きすぎてしまい、「華」の最後のはらいが少し短かったことです。だけど、最終的にはみんなでやり終え、ものすごく気持ちがよかったです。来年もまたやりたいと思っています。

○念願のパフォーマンス書道                 あきる野市  山川 晶子
今回、初めて逍遥会書道展に参加させて頂き、初めてのパフォーマンス書道を経験させて頂きました。テレビ等で見て興味を持っていたパフォーマンス書道を自分がやることになるとは思いもしませんでした。先生からパフォーマンスをやりましょうと言われた時は自分にちゃんと出来るかなと不安な気持ちもありましたが、貴重な経験なので頑張ろうと思いました。パフォーマンスの紙は実際の半紙などとは大きさがはるかに違い、どの辺りからかきはじめたらいいのか、墨の量をどれくらいつけたらいいのかなどわからない事だらけでしたが海洞先生の親身な指導の下、練習を終え、本番に臨みました。
当日は沢山の人が見守る中で緊張しましたが、先生の言葉を思い出して心を落ち着かせました。私は紙の上に大きく「遥」という字を書かせていただきました。雅楽の音楽に合わせ初めの一筆。練習の時とは違い墨がとても伸びやかで書きやすく、なんとか遥の字を書き終えました。書き終えた後は反省する気持ちと同時に大きな字を書く事の気持ちよさを痛感しました!!こんな貴重な経験させていただき海洞先生には感謝の気持ちでいっぱいです。これからもこの経験をいかし、益々精進したいと思っております。今後共宜しくお願いします。

○貴重な体験                        立川市   矢島 翠鳳  
パフォーマンス書道をやりましょうと先生に言われてから、うまくできるのかと心配でした。でも、練習の時、子供たちが堂々と太い筆を動かしているのを見てとても感心し、私もやってみようという気になりました。本番が始まるまでは心臓がドキドキでしたが、音楽が鳴ると、とても集中する事ができ、筆も墨も滑らかに動いてくれ、ほっとしました。人の見ている前で何かをするという貴重な経験をさせていただき、とても感謝しています。また一年間この挑戦の気持ちでやっていこうと思いました。本当にありがとうございました。


主催 逍遥会(あきる野文化連盟所属団体)


過去の書道展
【第27回逍遥書道展】
2012年4月7日(土)―9日(月)イオンホール(イオンモール日の出2階展示室)
【第26回逍遥書道展】
2011年4月9日(土)―12日(火)イオンホール(イオンモール日の出2階展示室)
【第25回逍遥書道展】
2010年4月10日(土)―13日(火)イオンホール(イオンモール日の出2階展示室)
【第24回逍遥書道展】
2009年4月11日(土)―14日(火)イオンホール(イオンモール日の出2階展示室)






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